大阪高等裁判所 平成2年(ネ)1965号 判決 1992年2月28日
控訴人 国
代理人 田中素子 阿部忠志 ほか三名
被控訴人 大平産業株式会社
主文
一 原判決中、控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
1 控訴人は被控訴人に対し、金二三〇二万一六七二円及びこれに対する昭和五九年九月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二事案の概要
次のとおり訂正、付加するほかは原判決の「第二 事案の概要」欄の記載と同一であるから、それを引用する。
一 原判決三枚目裏五行目の「五三〇一号」を「五三一〇号」に改める。
二 原判決六枚目表四行目末尾に続けて、次のとおり加える。
「不動産登記法上、登記官が偽造書類による不実の登記があることを発見したときに、その旨の付箋を貼付する等の措置(以下「警告措置」という。)をとることを命じた法令の規定はない。したがって、登記官には、右の措置をとるべき権限も義務もない。登記官において、登記申請書の添付書類等から実体関係の存否に疑問を持った場合であっても、右の疑問のゆえに、登記官に対して法令上の根拠のない警告措置をする義務を課することは、不動産登記法の趣旨に反し、かつ、登記官に不可能事を強い、登記事務処理の円滑な運営を阻害する結果となるものである。また、法令上の根拠に基づかない任意の行政上の措置(行政指導)として登記官において警告措置をとるべき義務もない。すなわち、このような場合の行政指導の内容及びこれをするかどうかについては、行政機関の公益的見地に立った政治的、技術的裁量に委ねられているから、それが個々の国民に対する職務上の法的義務となることはない。」
三 原判決六枚目裏六行目の「主張する。」を「主張し、損害額についての控訴人の主張に対し、仮に一審被告武田操(以下「武田」という。)から被控訴人に対して一〇〇〇万円支払の申し出があったとしても、右は、内容の不明確な口頭の提供にすぎないものである上、買戻代金三三〇〇万円のうちの金一〇〇〇万円の提供であり、本旨弁済の提供ではない。したがって、被控訴人がこれを拒否したとしても、登記官の過失によって被控訴人が右一〇〇〇万円の損害を被っていることにかわりはない。また、登記官から、昭和五九年三月二九日、申請を取り下げれば登録免許税が還付される旨の説明があったとしても、被控訴人は、当時、一審被告園山(以下「園山」という。)の登記が虚偽の登記であることの詳細を知り得なかったのであるから、申請を取り下げなかったからといって責められる理由はない、と反論した。」に改める。
四 原判決六枚目裏一一行目の「べきである、」の次に「武田は、買戻期限の前日と当日である昭和五九年四月二六日と二七日の両日、被控訴人の担当者である山本正雄に対し、買戻代金三三〇〇万円のうち金一〇〇〇万円を持参するから、残金の支払期限を延期するよう依願したが、被控訴人が右申し出を拒否したのであるから、この一〇〇〇万円については、登記官の過失とは無関係に生じた損害である。また、大阪法務局池田出張所登記官は、昭和五九年三月二九日にその知り得た事実を被控訴人に伝え、登記を完了しても抹消される恐れがあり、そうなると登録免許税も還付できなくなる旨を説明して、取下げの意思があるかどうかを確認したにもかかわらず、被控訴人は所有権移転登記を経由したのであるから、登録免許税等五四万四六〇〇円については、登記官の過失と相当因果関係のある損害とはいえない、」を加える。
五 原判決七枚目表三行目末尾に「及び本件土地には担保権の設定もされておらず、他に有利な融資先があるはずであるのに、武田は、被控訴人に本件土地を提供して月利五〇〇万円もの高利で融資を受けようとしたこと等」を加える。
第三証拠<略>
第四争点に対する判断
当裁判所は、被控訴人の訴訟人に対する請求は、主文掲記の限度で理由があり、その余は失当であると判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは原判決の「第三 争点に対する判断」欄の記載と同一であるから、それを引用する(なお、当審証人中尾岩雄の供述中、当裁判所の認定・判断に沿わない部分は、右の判断に照らして採用しない。)。
一 原判決一二枚目裏二行目の「不実登記の発見後の措置義務違反の有無」を「偽造登記済権利証等を看過した過失の有無」に改め、同二行目の次に行をかえて「一審被告武田が本件土地の取引に関与した経過等については、既に認定したとおりである(原判決の「事実及び理由」欄第三の二の1)。」を加え、同一三枚目裏七行目の「取り下げを勧告」を「被控訴人に取下げの意思があるかどうか確認」に、同八行目の「これを」を「取下げを」に各改め、同一一行目冒頭から同一四枚目裏三行目末尾までを削り、同四行目冒頭の「(一)」を「(二)」に、同九行目冒頭の「(二)」を「(三)」に各改め、同行の「一二号証」の次に、「及び弁論の全趣旨」を加え、同一五枚目裏七行目の次に行をかえて「(4) 右の真正印のような合体印は昭和四〇年一一月一七日付け民事甲第二八六六号民事局長通達で定められていたが、大阪法務局池田出張所においては、昭和五四年以降用いられるようになっていた。」を加え、同九行目冒頭から同末行末尾までを削り、同一六枚目表一行目冒頭の「(二)」を「(四)」に、同裏二行目冒頭の「(三)」を「(五)」に各改め、同四行目末尾に続けて「池田出張所での」を、同七行目の「発行された」の次に「古いもので、当時の登記済印・公印が果して昭和五九年のそれと同じといえるかは問題で、昭和四二年には池田出張所では合体印は未だ使用されていなかった」を、同一〇行目の「右程度の知識を有し、」の前に「弁論の全趣旨によれば、登記済証に押される登記済印・公印については、しばしば改印が行われていることが認められるとはいえ、同出張所の登記官がその職責・地位に照らし、少なくとも、自己の勤務する法務局出張所の登記済印・公印に関する右程度の知識を有しないで、当時の登記事務の処理に当たることが是認されるべきとするに足りる資料はないから、」を各加え、同一七枚目表六行目冒頭の「3」を「2」に改める。
二 原判決一七枚目表六行目の「そうすると、」の次に「被控訴人のその余の主張について判断するまでもなく、」を加え、同七行目の「二重に」を削り、同末行冒頭の「4」を「3」に改め、同裏二行目の「いうべく、」の後に「控訴人において右事情を予見し、又は予見することができたことを認めるに足りる証拠はない。よって、」を加え、同七行目の「七八六三万」を「七六三万」に、同八行目の「ことは前記のとおりである。そして」を「ことが認められる。ところで、」に、同一一行目の「五四万四六〇〇円」の後に「(登記免許税及び印紙税五二万〇八五〇円、司法書士報酬二万三七五〇円)」を加え、同末行の「もっとも」を「しかし、」に各改める。
三 原判決一八枚目表二行目末尾に続けて、次のとおり加える。
「また、登記官の前記過失により不動産の買主である被控訴人が通常被る仲介手数料相当損害額は、宅地建物取引業法四六条一項、宅地建物取引業法の規定により宅地建物取引業者が受けることのできる報酬の額(昭和四五年一〇月二三日建設省告示一五五二号)第一に定める金額(本件では、売買代金が二八〇〇万円であるから九〇万円となる。)が上限であり、それを越える仲介手数料及び契約立会等のための弁護士費用は、特別事情に基づく損害であるというべきところ、控訴人において右特別の事情を予見し、又は予見することができたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、登記官の前記過失と相当因果関係の契約諸費用損害は、仲介手数料九〇万円、登録免許税等五四万四六〇〇円の合計金一四四万四六〇〇円となる。
もっとも、控訴人は、昭和五九年四月二六日ころ、武田が再売買代金のうち金一〇〇〇万円を支払う旨申し出たにもかかわらず、被控訴人においてこれを拒否したのであるから、右一〇〇〇万円については登記官の過失と相当因果関係のある損害とはならないと主張し、原審における武田操本人尋問の結果中には右主張に沿う供述記載がある。しかし、右供述を裏付ける的確な証拠はないから、右供述のみでは、武田が右申し出をしたこと、仮に右の申し出をしたとして、一〇〇〇万円の支払が現実に可能であったことを首肯するに足りない。他にこれを認めるべき証拠はない。したがって、控訴人の右主張は理由がない。次に、控訴人は、昭和五九年三月二九日に、被控訴人に対し、事情を説明して申請を取り下げる意思があるかどうかを確認したにもかかわらず移転登記手続を経由したのであるから、登録免許税等は登記官の過失と相当因果関係のある損害とはいえないとも主張している。しかし、前認定のとおり、右確認の当時、園山の登記が実体を伴わない無効なものであることが客観的、かつ、正確に明らかになっていて、被控訴人の知るところともなっていたというわけではない(この点を肯認するに足りる証拠はない。)のであるから、被控訴人が前に認定した控訴人の登記申請の取下げの意思の確認に対し、取下げを拒否し、結局、所有権移転登記が経由されることとなったからといって、被控訴人が被った被害と登記官の過失との間に相当因果関係の存することを否定できるものではない。
以上によれば、登記官の前記過失と相当因果関係のある損害は、被控訴人が武田に交付した二五六三万九七二〇円、仲介手数料九〇万円、登録免許税等五四万四六〇〇円の合計である二七〇八万四三二〇円となる。」
四 原判決一八枚目表七行目冒頭から同裏四行目末尾までを次のとおり改める。
<証拠略>によれば、本件土地は、昭和四二年二月に齋藤の所有名義になった後、暫くの間所有者の移動はなかったところ、昭和五九年三月二一日に同月一九日売買を原因として園山に、同月二三日には園山への売買と同日の売買を原因として武田にそれぞれ所有権移転登記が経由されていること、本件土地の購入話は、同月二〇日ころ、不動産業仲間として被控訴人の取締役である大平義春(以下「大平」という。平成二年三月六日に代表取締役に就任した。)と数年前から交際のある小坂孝一から持ち込まれたものであるが、小坂が被控訴人に持ち込んで成立した不動産取引は本件のみであること、大平は、本件土地は三五〇〇万円程度の価値はあると考えてはいたものの、他の不動産関連事業を多く抱えていたため、購入に積極的ではなかったこと、しかし、本件取引当日である昭和五九年三月二七日に武田から懇請され、代金二八〇〇万円、一か月後の買戻特約付(買戻代金は五〇〇万円高い三三〇〇万円)で買い受けることを承諾したこと、大平は、本件土地の購入依頼を受けた際、右土地が短期間に転々譲渡されていることから、前々所有者の齋藤と前所有者の園山から事情を確認しようとしたが、いずれも連絡がとれなかったため、そのまま契約を締結したこと、齋藤は、昭和五九年三月当時、本件土地登記簿記載の同人の住所に居住していたこと、被控訴人においては、本件土地のように短期間に所有者が変更している場合には、前所有者にも事情を確認してから取引するのが通常であること、昭和五九年三月二七日付けで被控訴人への所有権移転登記が経由された僅か四日後の同月三一日には大阪地方裁判所がいわゆる処分禁止の仮処分命令を発し、同月四月二日にはこれが登記簿上に公示されたことがいずれも認められる。そして、以上までに認定の各事実関係からすると、本件土地取引は、被控訴人との間では取引実績のない者から持ち込まれたものであり、前々主と前主の購入日が同一であり、かつ、本件取引は当日になって条件が急に決まったもので、一か月という短い買戻期限であるのに、買戻代金は五〇〇万円も増加する内容となっていること、元の所有者である齋藤の住所は登記簿上明示されていて、齋藤は登記簿記載の住所に現実に居住していたのであるから、被控訴人が多少の時間と手数を惜しまなければ、齋藤と接触して事情を確認することは必ずしも困難ではなかったものというべきところ、通常の買主ならば、元の所有者である齋藤や園山に事情を確認するものとみられるのであって、被控訴人としても、現実には、前に認定のとおり、これを行おうとしたのである。そして、齋藤に対して右の確認がされていれば、被控訴人が損害を被ることもなかったであろうから、被控訴人が本件売買契約締結により前認定の損害を被ったことについては、被控訴人にも過失があるものというべく、以上までに認定の各事実関係のもとにおける損害の公平な分担をはかれば、その割合は一割五分とするのが相当である。そうすると、被控訴人が控訴人に対し、本訴において請求のできる損害賠償金額は、金二三〇二万一六七二円となる。」
第五結論
以上によれば、被控訴人の控訴人に対する請求は、損害賠償金二三〇二万一六七二円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五九年九月七日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は失当として棄却すべきところ、原判決は一部結論を異にするのでこれを変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 仙田富士夫 前川鉄郎 加藤誠)
【参考】 第一審(大阪地裁 昭和五九年(ワ)第六二二八号平成二年九月三日判決)
主文
被告武田操及び被告国は、原告に対し、各自、金二七五八万四三二〇円及びこれに対する昭和五九年一一月四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
被告武田操は、原告に対し、金五四一万五六八〇円及びこれに対する昭和五九年一一月四日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。
被告国は、原告に対し、金二一万九一六三円を支払え。
原告の、被告園山法彰に対する請求並びに被告武田操及び同国に対するその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告と被告園山法彰との間ではすべて原告の、原告と被告武田操との間ではすべて同被告の、原告と被告国との間ではこれを三分し、その一を原告の、その余を同被告の、各負担とする。
この判決は、被告武田操に対して支払いを命じた部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
被告らは、原告に対し、各自、金三三〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が土地を買い受け所有権移転登記を経たものの、前々主への所有権移転登記が偽造の登記済証等に基づく不実のものであったため、真正な所有者からの訴えにより自己への移転登記が抹消され、所有権を取得できなかったことを理由とする損害賠償請求であって、前々主に対しては不法行為責任を、売主に対しては不法行為または契約上の責任を、国に対しては登記官の過失を理由とする国家賠償責任を、それぞれ問うものである。
一 争いのない事実
1 原告は、昭和五九年三月二七日、別紙目録記載の土地(以下「本件土地」という)につき、所有名義人たる被告武田から代金二八〇〇万円で買い受ける旨の売買契約を結び、代金を支払って(ただし現実の交付額は後記認定のとおり)、同日、大阪法務局池田出張所同日受付第五七七六号をもって所有権移転登記を受けた。
なお、右契約と同時に、原告と被告武田との間で、同年四月二七日を予約完結期限とし、代金を三三〇〇万円とする、再売買の予約が結ばれ、被告武田は原告に額面三三〇〇万円の約束手形を振り出し交付した。
2 本件土地は、訴外齋藤晴次(以下「齋藤」という)が昭和四二年二月これを取得してその旨の所有権移転登記を経ていたものであるが、原告への移転登記の直前の昭和五九年三月二一日、同出張所受付第五〇七七号により同月一九日売買を原因として被告園山への所有権移転登記がされ、ついで同出張所同月二三日受付第五三〇一号により同月一九日売買を原因として被告武田への所有権移転登記がされていた(以下、各取得者の名を冠して「齋藤の登記」などと略称することもある。)。
3 ところが、齋藤は本件土地を他に売却したことはなく、園山の登記は、齋藤の登記済権利証並びに齋藤の印鑑及びその印鑑証明書が偽造されて、行われたものであった。
4 このため、原告の登記がされた直後の同月三一日、齋藤の申請により、大阪地方裁判所は原告に対し、昭和五九年(ヨ)第一一九〇号事件として、本件土地の処分禁止の仮処分命令を発し、同年四月二日にその旨が登記された。そして齋藤は、被告園山、被告武田及び原告に対し、同庁同年(ワ)第六〇〇七号事件として右各所有権移転登記の抹消登録手続を求める訴訟を提起し、被告園山、同武田に次いで、昭和六二年一月二六日原告に対しても請求認容の判決があり、同年一二月二三日原告の控訴が棄却されて、右判決が確定し、これに基づき、右各移転登記は抹消された。
二 争点
各被告の賠償責任の有無及び責任があるとした場合の損害賠償額が争点である。
1 被告園山の責任原因
原告は、主位的に、武田との共謀による詐欺、予備的に名義貸等の過失による不法行為を主張する。
被告園山は、事情を知らずに登記名義人となることを承諾しただけで、偽造の登記済権利証等による登記が行われることを知らなかったと争う。
なお、第一回口頭弁論期日において、被告園山は「本件物件を齋藤に無断で園山名義に変えたことは認める。」旨陳述したが、この陳述が、故意による不実登記をしたことを自白したものか、自白である場合はその撤回が許されるかも、争われる。
2 被告武田の責任原因
原告は、(1) 第一次的に、詐欺の不法行為、(2) 第二次的に、売買契約上の所有権移転義務の履行不能による賠償責任、(3) 第三次的に、他人の所有に属する土地の売買による瑕疵担保責任、を主張する。
被告武田は、右をいずれも争い、(1) 園山の登記が無効の登記であることは知らなかった、(2) 被告武田自身も園山の登記を信じて取引をおこなったものであって、故意も過失もないから、契約の不履行について責任はない、(3) 原告からは金員を借りて担保を提供したに過ぎず、瑕疵担保責任は負わない、と主張し、抗弁として、原告が被告武田に対し瑕疵担保責任を追及するのは信義則に反する、と主張する。
3 被告国の責任原因
原告は、大阪法務局池田出張所の登記官には、
(1) 遅くとも原告の登記の受理以前に、園山の登記が偽造書類に基づいてなされたことを知ったにもかかわらず、登記簿を閉鎖し、あるいは登記簿にその旨の付箋を貼付する等して虚偽登記の存在を一般に警告するための適切な措置をとらず、原告の取引直前の確認に対しても事故はない旨を返答した過失、
(2) 園山の登記の際添付された齋藤の登記済権利証に押捺された登記所の印が、昭和五九年当時の真正な印に近似しているものの、四二年当時の真正な印とは個数、形態とも全く異なっているのに、これを看過し、右権利証を真正なものとして登記申請を受理した過失、
があると主張する。
被告国は、過失を争い、
(1) 虚偽登記であることが判明しても、登記官にはこれを登記簿に表示する等の義務はない。
(2) 提出された齋藤の登記済権利証の印が昭和五九年当時の真正なものに似ていて、昭和四二年当時のそれとは個数形態とも異なることは認めるが、登記官が、登記申請に添付されるすべての登記済証の真偽をその作成当時の印と対照して判定することは不可能であって、不審の点がない限り対照の義務はないものというべきところ、本件偽造印は昭和五九年当時の真正な印と酷似しており、申請書や添付書類自体からは不審な点はなかったから、登記官が登記済権利証が偽造であることを看破できなかったことに過失はない、
と主張する。
5 損害額
原告は再売買の予約によって得べかりし代金三三〇〇万円の損害を被ったと主張する。これに対し、被告国は、原告の損害は被告武田との売買代金二八〇〇万円のうち現実に武田に支払った二五六三万九七二〇円だけである、そうでなくとも、原告が右代金から控除した不動産取得税四一万五六八〇円は移転登記の抹消登記がされたことにより還付を受け得るものであるから、損害から控除されるべきである、と主張する。
6 過失相殺
なお、被告国は、原告は取引直前に短期間に転々と移転登記がされていることや時価より非常に安い代金額であることからして、本件土地がいわゆる事件物であることを知りうべきであるのに、形式的に所有名義人を確認しただけで安易に取引を行ったものであるとして、過失相殺を主張し、原告はこれを争う。
第三争点に対する判断
一 被告園山について
1 まず、被告園山の第一回口頭弁論期日における口頭の陳述は、以下の如き、証拠により認められる事実に照らすと、齋藤に無断であることをその登記当時から知っていたことを自白したものと言えるか疑問であり、自白に当たるとしても、錯誤にもとづき真実に反するというべきであるから、その撤回が許される。
2 <証拠略>によると、被告園山は、知り合いの中島某らから、同人らが他から土地を取得し転売するについて、事情があって名義人となれないため名義を貸してほしい旨頼まれて、これを承諾し、転売のために白紙の売渡証書、登記委任状に署名捺印し、印鑑証明書を交付して協力したことが認められる。けれども、被告園山がそれ以上に自己の名義への登記手続に関与したことや、その登記申請に添付された齋藤の登記済権利証、豊中市長作成の印鑑証明書が偽造されたものと知っていたことについては、証人久保田日出和、同石川省治の各証言中に、これを窺わせる部分があるだけである。むしろ、被告園山及び被告武田各本人尋問の結果によると、被告武田から支払われたという代金一五〇〇万円も中島からそれを受け取ったと聞いただけで、何の謝礼も受け取っていなかったこと、被告園山は、仮処分があったことを聞いて中島に解決するよう督促した結果、中島から、「一五〇〇万円は被告武田に返還した。被告武田が、齋藤に登記を返す手続をとることを約束した。」として、被告武田作成の同年六月一五日付けの「約定書」(<証拠略>)を受け取ったことが認められ、また、偽造の登記済権利証、印鑑証明書を準備して園山の登記をしたのが誰であるかは、本件証拠上は不明であるが、<証拠略>によると、この登記については齋藤と大阪法務局池田出張所長が警察に告訴告発し、園山も取り調べを受けたが、結局主犯と目される人物を検挙できないまま園山は何の処罰も受けていないことが認められる。これらの事実は、被告園山が不実の登記をするについて関わりがなかったことを窺わせるものと言え、これらの事実に照らしても、前記久保田、石川の各証言はたやすく措信できず、他に、被告園山が偽造の事実を知っていたと認めるに足る証拠はない。
2 また、被告園山は右のとおり自己の名義を貸与したものではあるが、そのような事例は世上少くなく、一概に違法とは言えないし、同被告は中島らから「いい話しだ。」と誘われた旨供述しているものの、土地の転売により挙げるであろう利益から謝礼をくれるものと考えたというのであって、不自然ではなく、名義を貸したこと自体から、その登記が偽造の登記済権利証や印鑑等を用いる不実のものであることを予見することはできず、他に同被告が何らかの注意義務を怠った過失があるとは解されない。
3 そうすると、同被告に対する請求は理由がない。
二 被告武田について
1 取引の経過等
<証拠略>によると、被告武田は、転売を目的として、昭和五九年三月一四日久保田の仲介で、被告園山(の代理の中島)との間で、被告園山が齋藤から所有権を取得することを条件に、代金三〇〇〇万円で本件土地を買い受ける旨の契約を締結したこと、同月二一日被告園山への取得登記が行われたのち同月二三日自己への移転登記を得、代金のうち一五〇〇万円を(久保田が立て替えてまたは久保田を介して)中島に支払ったこと、一方で被告武田は、原告に本件土地を担保とする融資を申し込んだが、原告は、貸金ではなく売買及び再売買予約とするよう求め、結局、被告武田と原告との間で、同月二七日、代金を二八〇〇万円とする売買契約をし、同時に代金額を三三〇〇万円、予約完結期限を同年四月二七日とする再売買の予約をしたうえ、被告武田は、右同日を満期とする三三〇〇万円の約束手形を原告に振り出し交付し、原告から担保受取証(<証拠略>)を受け取ったこと、そして原告は契約当日、金一八〇〇万円を武田の指定にかかる銀行口座に振込送金するとともに、残代金一〇〇〇万円から諸費用を差し引いた残額七六三万九七二〇円の額面の小切手を振り出して武田に交付し、右小切手は翌二八日決済されたこと、被告武田は原告から受け取った金員のうち七〇〇万円を知り合いの小松某に貸してやるなどし、結局被告園山宛の残代金を支払わないままであったこと、仮処分の後、被告武田は、六月一五日付けで、「一五〇〇万円を受け取った。園山から齋藤への名義返還手続をすることを約束する。」旨の約定書を作成し(<証拠略>)、中島を介して被告園山に交付したこと、ところが被告武田は右約束を履行せず、原告に交付した三三〇〇万円の約束手形も決済せず、一切弁済もしていないことが認められる。
もっとも、右のうち、被告園山と被告武田との売買代金の授受については、その出所、受取人、金額において、被告武田の主張と供述との間にも齟齬があり、石川、久保田の証言とも食い違っていて、代金中一五〇〇万円が現実に授受されたのか、誰が出捐したのか、これが現実に返されたのか、それを誰が出捐したのかは判然としない(例えば、久保田の証言は、初めに被告園山側に支払われた一五〇〇万円も同人が被告武田に貸してやったもので、その返済金も同人が再び立て替えて被告武田に渡した、という不自然なものである。)うえ、不実の登記を利用して代金名下に被告武田から金員を詐取したのであれば、その金員を返還することは考えられず、園山の名義となる以前から中島、久保田、被告武田が本件土地の売買を話し合っていたことからすると、代金は現実には授受されなかったのではないかとの疑いも残る。
2 故意の不法行為の成否
被告武田の本人尋問の結果によると、被告武田は被告園山側に対し買受代金の半額一五〇〇万円は支払ったものの、残金を全く支払わず、その後被告園山側から一五〇〇万円を返済されたというのに、これを原告に返済することもなく費消してしまったというのであって、結局被告武田は原告から受け取った金員全額を利得していることが認められ、その供述は肯づきがたいものがあり、その供述を裏付けるはずの証人久保田、同石川の各供述も曖昧な点が少くない。けれども、右事実のみでは、被告武田が、原告との取引以前に、園山の登記が偽造書類に基づいてなされた不実のものであることを知っていたと認めるに足りないから、被告武田が故意に原告に不法行為を加えたとは言いえない。
3 債務不履行責任の成否
この点につき、被告武田はまず原告との契約が土地の売買契約ではない旨を主張するが、前記1認定の事実によると、被告武田と原告との取引の実態は融資であるが、法的には被告武田と原告との売買が行われたものというべきであるから、被告武田は、原告に対し売主としての責任を免れない。
しかるに、同被告が原告に対して本件土地所有権を移転し、その登記を行うべき債務を履行することができなくなったことは明らかであり、前記1認定の事実を総合すると、被告武田は、原告との取引に当たり、園山の登記が真正なものではないことを知らなかったことに過失がなかったとはいえないから、履行不能による債務不履行の責任を免れない。
4 損害賠償額
前記1認定の事実によれば、結局原告は右履行不能により、三三〇〇万円の再売買により得べき代金額相当額の損害を被ったものであり、被告武田は右金額を賠償すべき義務を負うものというべきである。
三 被告国について
1 不実登記の発見後の措置義務違反の有無
(一) <証拠略>によると、以下の事実が認められる。
昭和五九年三月二七日午前九時三〇分ころ、齋藤の長男は、大阪法務局池田出張所に対し、同月二一日にされた園山の登記が不実のものである旨を届け出た。そこで同出張所所長(登記官を兼ねる)以下の職員が調査したところ、園山の登記に添付されていた印鑑証明書の印影は齋藤の実印ではないとのことで、豊中市役所に赴いて調べると、果たして右印鑑証明書が発行されたことはなく、偽造されたものと判明した。右登記に添付された登記済権利証については、右登記申請を代理した中井司法書士に問い合わせたが、既に当事者に返還してあるとのことで、それを直接確かめることはできなかったが、齋藤の手元にある登記済権利証は真正のものと見えるのに、他への移転登記がされた場合の登記済の記入はなく、偽造の登記済権利証や印鑑証明書を利用して登記が行われたものであることが、同日午前中にはほぼ判明した。
一方、この日、原告は被告武田と前記の契約をすることとなり、本訴原告訴訟代理人の事務所で契約書を作ってもらうかたわら、同日午後二時ころ、大宮司法書士に池田出張所で本件土地の登記簿を閲覧してもらい、問題がなく、取引可能との返事を得たうえで、前記のとおり銀行に振込送金し、かつ小切手を振り出し交付して、被告武田に対する代金の支払いをした。
池田出張所では大阪法務局本庁に報告して事後の措置を協議していたが、翌二八日午前になって、原告から右登記申請を受け付けていたことが判明した。そこで、翌二九日、原告に園山の登記が偽造書類に基づいているので告発する予定である旨告げて、右登記申請の取り下げを勧告したが、原告がこれを拒否したため、受付どおり原告への所有権移転登記を了した。
以上の事実を認めることができる。
(二) 右事実によると、池田出張所登記官(所長をかねる)においては、二七日午前中には、ほぼ確実に園山の登記が偽造書類を用いた不実の登記であることを把握したが、これを一般に警告するために、登記簿にその旨の付箋を貼付する等の措置を取らずにいたことが明らかである。
(三) 被告国は、登記官にはそのような措置をとる義務がない旨主張するが、具体的にこのような場合にとるべき措置についての規定がないとしても、特にそのような措置をしてはならない旨の法令の規定がない以上(現に池田出張所では、原告に対して、その登記申請の取り下げを勧告しているが、このような措置も法令の根拠に基づくものとは解されない。)、登記官として、それ以上の被害者が現れることを防ぎ、登記に対する国民の信頼を維持するため、右のような応急の措置をとる義務があるというべきである。
したがって、この点で、同出張所の登記官には、その職務執行に当たり過失があると言わねばならない。
2 偽造登記済権利証等を看過した過失の有無
(一) 前記の齋藤名義の偽造の登記済権利証に押捺された同出張所の印が、昭和五九年当時の真正なそれに近似しているが、その登記のなされた昭和四二年二月当時同出張所で使用されていた印とは個数、形態において異なるものであったことは争いがない。
(二) そして、甲六、八、一二号証によると、
(1) 昭和四二年二月当時、同出張所において登記受付の際、登記済権利証に押捺していた真正な印は、庁印と登記済印が別々の印であった。このうち庁印は、縦横ともに四五ミリの大きさの正方形であり、「大阪法務局池田出張所之印」という一二文字が均等に四文字ずつ三列に配置されていた。そして登記済印は縦七〇ミリ、横四〇ミリの大きさの長方形のもので、縦に四列に区分して、「大阪法務局池田出張所」、「昭和 年 月 日」、「第 号」、「登記済」との文字と、第二列と第三列の上部に横に「受付」と刻まれたもので、押捺後、受付日時、受付番号を記入するものとなっていた。
(2) これに対し、偽造の登記済権利証に押捺された印は、庁印と登記済印とを合体した形式の、縦七〇ミリ、横四〇ミリの大きさの長方形のもので、右上側が受付印部分となって、「受付」「第 号」と刻され、押捺後、年月日と番号をゴム印で記入してあり、左下部に縦横三〇ミリの正方形の区画があり、「大阪法務局池田出張所」の一二文字が四文字ずつ縦三列に均等に配置された庁印部分となっていた。
(3) この偽造印は、本件の生じた昭和五九年当時同出張所で使用されていた真正な印と酷似し、近接対照しなければ真贋を見極めがたい。
以上の事実が認められる。
そして、この真正印のような合体印は、昭和五二年の法務省民事局長通達で定められ、大阪法務局管内では昭和五四年以降用いられるようになったものであることは、被告国の認めるところである。
(二) 登記官が、登記申請の形式的適否を審査する職務権限があり、その審査に当たっては、添付書類の形式的真否を判定し、不真正な書類に基づく登記申請を却下すべき注意義務を負うことはいうまでもない。
もっとも、登記事務における迅速処理の要請が高いこと、登記官の審査が申請の実体的な適否にまで及ぶものではないこと等の諸事情を勘案すると、登記官において常に添付書類に押捺された登記済印公印等の各印影と真正な印影とを相互対照すべき義務があるとまではいえず、自己の知識経験に照らし、申請書、添付書類自体の様式、形態、刻印文言等を総合的に観察し、何らかの疑義を抱いた場合に限って印影の相互対照をすれば足りるものと解するのが相当である。
(三) とはいえ、本件の場合、登記済権利証が偽造されたものであることを看破するのに、真正な印影との対照を要した訳ではなく、審査に当たった登記官が、右の如き合体印の使用開始がまだ四、五年前のことであるとの大まかな知識を有していれば、そして本件申請に添付された登記済権利証が一七年も以前に発行されたことに着目していれば、これに合体印が押捺されていること自体から疑念を抱き得、ひいては右登記済証が偽造であることに気づき得た筈であって、右程度の知識を有し、右程度の注意を払うことを求めるのは、登記官に難きを強いるものとはいえない。
してみれば、被告国の主張する如く、本件当時の池田出張所の登記官の職務内容、職員数、処理件数などからしてその職務がかなり繁忙であり、しかも年度末の繁忙期であったことなど、多少の酌むべき事情があったとしても、右偽造書類を用いた移転登記の申請の審査に当たった登記官に過失があったことは明らかである。
3 そうすると、池田出張所の登記官はその職務を行うについて二重に過失を犯し、ために原告は被告園山の登記及びこれを受けた被告武田の登記が真正なものと信じて取引を行い、その結果損害を被ったものというべきであるから、被告国は、原告が右取引を行ったことにより被った損害を賠償する義務がある。
4 損害賠償額
原告が本件土地を再売買することによって得たであろう利益を失ったことは特別な事情による損害というべく、被告国が賠償義務を負うのは、結局原告が被告武田との取引において支出し、その回収ができない金額に限られると解するのが相当である。
原告が被告武田との取引において、一八〇〇万円を振込送金し、諸費用を控除した七八六三万九七二〇円の小切手を決済したことは前記のとおりである。そして<証拠略>によると、原告は、右諸費用として、仲介手数料一二〇万円、契約立会及び契約書作成の弁護士費用二〇万円、登記費用五四万四六〇〇円、取得税四一万五六八〇円を支払ったことが認められる。もっともこのうち取得税は、移転登記が抹消されたことにより還付を受けうるものであるから、損害から控除すべきものである。
そうすると、代金二八〇〇万円から、右税額を差し引いた二七五八万四三二〇円が、原告が被告国に賠償を求めうる損害となる。
5 過失相殺
なお、被告国は、原告の取引方法等に照らして、過失相殺をすべきであると主張するけれども、原告と被告武田との取引価格は相場からみて安い価格であったかも知れないが、実質的には被告武田に対する融資であって、その価格設定が不審の念を抱かせるようなものであったとは窺えないし、短期間に転々と移転登記がされているとしても、不動産取引においては稀なことではないから、登記簿上の売主から買い受ける以上、前々主、さらにその前々々主にまで売買の有無を確認しなかったからといって、何の落度もなく、他に過失相殺をすべき事情は窺えない。
四 結論
よって、原告の本訴請求のうち、被告園山に対する請求は失当であるからこれを棄却することとし、被告武田に対する請求は理由があるからすべて認めることとし(同被告に対する訴状送達の翌日は昭和五九年一一月四日である。)、被告国に対する請求は、金二七五八万四三二〇円及び訴状送達の翌日である昭和五九年九月七日から支払い済まで年五分の割合による損害金を求める限度で理由があるからこれを認容することとして、主文のとおり判決する(国に対する認容分は、被告武田に対する認容分と不真正連帯の関係に立つが、遅延損害金のうち訴状送達が被告武田に対するよりも早かった期間五八日分の金二一万九一六三円は、被告国に対してのみ請求されたこととなるので、被告に対してのみ認容することとなる。)。なお、被告国に対する仮執行は相当でないから、その宣言をしない。
(裁判官 下司正明)
(別紙)物件目録<略>